付録 噛む力をつけよう
<特集>子供の食生活を見直そう —固いもの好きに育てるためにー
栄養だけではない食生活の大切さ
悪くなった歯を治すとき、一番苦労が多く結果が悪いのは、歯列の悪い場合である。
歯列の悪い歯の裏陰に汚れが残るので、そこにムシ歯や慢性辺緑性歯周炎(歯周病)が多発する。歯並びの悪さは口腔疾患の元凶ということができる。
歯列不正は矯正治療によって治療可能だが、治療期間も長い上に、審美性の悪さも我慢しなければならない。保険も効かないので、上の子も下の子もということになれば、とてもやりきれるものではなかろう。
このような歯列不正の場合のムシ歯や歯周病は、歯ブラシによる清掃だけではとても防げるものではない。
歯列不正こそ、育児によって予防しなければと考え、幼児期の食生活を見直してほしい。要約
なぜ歯ならびが悪くなるか
歯の大きさ、特に幅は先天的に決められた寸法で発育するが、顎の大きさは諸種の原因によって発育の障害を受け、予定よりも小さく育ち、そのため顎の中に歯が並び切らなくて歯列不正となってしまう。上顎の発育障害は,妊娠初期からの母体の栄養(胎生期)、授乳期に影響を与える母親の食事、特にビタミソEの欠乏、精白小麦食品、精白米などの害によることが一般的である。また、乳歯列は案外目立たずに収まっている場合が多いが、永久歯が萌え始めると色々な形で歯列の悪さが現われてくる。
もちろん出生から後の離乳期の栄養素に強く影響されるが、また食べ物の有り様、つまり食べ物の固さ、大きさ、噛み方などが直接的に関わる重要な点であることを忘れてはならない。
乳歯時期に固いものを噛ませない場合、食物・食品の栄養条件、その他すべての条件を無効にしてしまうものとまで考えるべきと思う。
永久歯列の不整の原因
歯並びを悪くする原因は、「伝統的な食生活が急激に近代食に変化したことにある」ことは常識となっている( 参照 食生活と身体の退化)。
妊娠中の母親の食事の影響で、乳幼児の顎の発育が不十分になる(しかしそのために乳歯列の歯並びが悪くなるとは限らない)。
また、母親の食事のあり方が授乳期間の幼児の発育に関わり、また離乳食のあり方が、引き続き一層幼児の顎の発育に影響する。
乳歯列(特に満1歳〜5歳)の子どものこの発育不全を、よく噛む習慣を躾けることで予防できる。
離乳食に,かじれるものを加えよう
1本,2本と歯が萌えてくる赤ちゃんに、その歯でかじって食べられるものを、それを軟かくて唾液にすぐ溶けるような加工食品ではなく、食品そのままの姿で与えること、例えば昔風の固く酸っぱいリンゴの大切り、セロリのやっと持てる大きさの大切りの軸、干し大根など、歯の萌出に従っておしゃぶりとして、また離乳食の一部として与え、噛むことへの欲求を満たしてやることである。
おしゃぶりと離乳食
6か月頃から歯が萌え始め、乳児の消化器管は乳以外の離食を受入れ消化する能力ができるので、離乳食を適当に与えるが、その時期に適当なおしゃぶりが必要で、吸うことと、噛むことの移行を助け、欲求を満たしてやるようにおしゃぶりを必要とする。
おしゃぶりの与え方は、その後の幼児期の間食の与え方の始まりで、その必要の意味を満たすものでなければならず、噛むというより、前歯で削り吸いとるような食べ物、その上に自分の手で持ち、口に運ぶことのできるようなものでなければならない。
満1歳のお誕生の時期には、乳臼歯半数が萌えているので、固型食に切りかえられる時期であり、乳児から幼児へと成長したことになる。満1歳のお誕生からは, 固型食のもつ意味を損うことなく、過剰な調理やつけ味を極度に控え、噛むことによって味わいを知るようにしなければならない。
胎児期、乳児期に母親の栄養の間違いから、顎の発育が不十分であったとしても乳歯の生え方、歯並びの乱れとしての現われは稀であることは先に述べたが、だからといって顎の発育は大丈夫と考えるのは甘すぎる。十分に発育していたとしても、それからの上下顎の発育は、その時の食生活(離乳食)のあり方によって決まり、その発育状態はまた、その後成人するまでの間の発育を正常に導き出すか、反対に阻害するかの基礎となるため最も重要な時期である。離乳期、幼児期のよく噛む習慣、固いもの好きは、成人するまでの顎顔面の成長を助ける
乳歯が萌えそろう2歳頃からは、食べ物の種類をできるだけ多く、できるだけ丸ごとそのままで、必ずよく噛むようにしつけることが絶対に必要で、濃い味でしかも軟らかいものばかりを好きにしてしまえば、顎の発育が悪くなるだけでなく、必ず乳歯のムシ歯が多発して、そのために一層噛めなくなり、悪循環が高じ、永久歯を受入れる顎の発育が悪くなってしまう。
永久歯に萌え変わると乱杭歯となり、上下の歯の咬み合う面積が小さくなることと、力を入れて噛めばお互いに横倒しすることになるので、本能的に力を入れなくなる。そのためにさらに噛む力は極端に弱くなる。ふつう歯並びのいい人の噛む力は、最高自分の体重に匹敵するといわれているが、歯並びが悪ければその程度によって半分以下に減少する。その結果、顎の病気に対する抵抗力も弱り、さらに歯肉や骨も弱ってくる。したがって歯槽膿漏になりやすく、罹れば治りにくい。
よく噛めば……こんなことも
子どもの食生活の始まる最初から固いもの好き、食物そのもののよく噛んだ味を好むように躾け、そのことによって顎の発育を正しくし、良い歯並びと強い歯を育て、一生涯その好み、食生活が守れるように育児の時期にこの点について考え直すことが最も必要だと強調したい。
よく噛むことは顎の発育を正しく育成することだけでなく、現今の食品のもつ為害的な性質を取り除くことができる。つまり、30〜50秒かけてよくかめば(1口30〜50回)その間に食物のもつ危険性、発癌性までも無害化するという精咀嚼の効果が発見されている。また唾液が多量に食物と共に摂取されるので(1日量1リットル〜1.8リットル)、少量の食物で満腹し、多量のドカ食いがなくなる。
離乳期からよく噛むように躾けられた子どもは幼児期(乳歯列の時期)に砂糖あるいは塩味の濃厚に味付けされたものは嫌いになる。
顎の発育がよく、歯は丈夫で歯並びの美しい、そして濃厚な味付けを好まない、何でもよく噛んで食べる子どもは、離乳期から僅か2年そこそこの母親の努力で仕上げることができるということをよく知ってほしいと思う。片山恒夫「愛育」昭和57年12月(恩賜財団母子愛育会)